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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)1004号 判決

事実

被控訴人(一審原告、勝訴)は、昭和二十七年六月五日支払を停止し、昭和三十一年八月七日破産宣告を受けた訴外田中熱機株式会社の破産管財人である。ところで破産会社は控訴人臼田源一から、昭和二十七年五月上旬金五十万円を、同年二十六日金百万円を、何れも利息日歩二十銭、弁済期同年六月四日の約で借り受けたが、同年六月七日控訴人に対し、右債務のうち、金五十万円の元本及び金百万円の元本のうち金五十八万七千三百円、合計金百八万七千三百円の元本債務の弁済に代えて、昭和二十七年六月七日訴外松井卓爾振出にかかる破産会社宛、金額百八万七千三百万円、満期同年九月二十七日なる約束手形一通を裏書譲渡した。しかして右代物弁済は、破産会社が破産債権者を害することを知つてなした行為であるから、被控訴人は破産法第七十二条第一号によりこれを否認する。

一方控訴人は、右約束手形の所持人として右訴外松井卓爾より、昭和二十九年一月二十九日より同三十年六月二十日までの間十八回に亘り合計金百八万七千三百円の支払を受けて、右約束手形を振出人である右訴外人に交付した。よつて被控訴人は控訴人に対し、右約束手形の返還に代えてその価額金百八万七千三百円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める、と主張した。

控訴人臼田源一は、一審においては適式の呼出を受けながら口頭弁論期日に出頭せず、且つ答弁書等も提出しなかつたが、当審に至り、被控訴人の否認権の行使は次の理由により失当であると抗争した。すなわち、

1、破産会社は昭和二十七年五月上旬控訴人から五十万円を借受けていたが、破産会社は更に昭和二十七年五月二十六日控訴人から百万円を借入れ、その後五日目の同月三十一日その弁済に代えて右約束手形を裏書譲渡したものである。当時右約束手形の振出人である松井卓爾は破産会社に対し百八万七千三百円に相当する売買代金債務を負担していたが、資産がなく月賦弁済契約になつていたもので、手形債権の価値は百万円を遙かに下廻るものであつたから、それを代物弁済として譲り受けたとしても、破産財団を減少するものではないから、破産債権者を害すべき行為に当らない。

2、また、百万円の貸金は形は破産会社の債務であるが、実質は破産会社の専務取締役である島田真一個人の債務と認めるべきものである。すなわち、島田は訴外大森興業協同組合の理事長を兼ねていたが、自分の責任で、右協同組合の理事長たる資格で振り出した金額百万円の小切手を指示して、これを担保にして破産会社に百万円の一時融通方を依頼し、控訴人は島田と懇意な間柄にあつたので、同人に一時貸をしたものである。控訴人はこれまでも島田を信用して、無利息、無担保で島田を通じて破産会社に数回時貸をしたことがあり、本件百万円の貸金は従来の貸金に比べて額が多かつたので、大森興業協同組合振出名義の小切手を担保に受けていたが、貸金の数日後にこれを返還して、前記松井卓爾振出の約束手形の裏書譲渡を受けたのであつて、全く破産会社の専務取締役たる島田源一を信頼し、手形の裏書譲渡を受けたのである。控訴人は、破産会社が支払を停止し、またはこれに類する危険な状態にあることは夢想だにしなかつたものである。要するに、控訴人は当時破産債権者を害することを知らなかつたものであるから、被控訴人の否認権の行使は失当である。

理由

訴外田中熱機株式会社が昭和二十七年八月七日破産宣告を受け、被控訴人が同日破産管財人に選任せられたこと、破産会社は控訴人に対し五十万円と百万円の二口の債務を負担していたこと、控訴人が破産会社から松井卓爾振出にかかわる百八万七千三百円の約束手形の裏書譲渡を受けたことは、控訴人の争わないところである。

被控訴人は、破産債権者が控訴人に松井卓爾振出の右約束手形を裏書譲渡した行為は、破産会社の債権者を害する行為であるから、破産法第七十二条第一号によつて否認さるべきものであると主張するので、この点について判断するのに、証拠を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

控訴人は破産会社田中熱機株式会社の当時専務取締役であつた島田真一と懇意の間柄にあつたので、好意的に同人を通じて、同会社に対して昭和二十五年秋頃から昭和二十七年六月同会社が支払を停止するまで六、七回にわたり、常時五十万円程度の貸金をしていた。昭和二十七年五月上旬五十万円を貸与したが、まだその返済を受けないうち、さらに同月二十六日百万円を返済期は一週間ぐらいの約束で貸与し、ただ貸付人の名は破産会社において、貸主の便宜を考えて、蔵田源三の仮名にしておいた。破産会社の取締役であつた島田真一は訴外大森興業協同組合の理事長をも兼ねていたので、破産会社が控訴人から百万円を借受けるに当り、島田は右協同組合の理事長の資格で、担保のため同組合振出の先日付の小切手を差入れておいた。他方破産会社としては、訴外松井卓爾に売却した不動産の未収債権百八万七千三百円を有し、将来月賦で弁済を受けることになつており、この債権を右百万円の貸金債務の弁済に当てることにした。そして同月三十一日松井卓爾に破産会社に宛てて同年九月二十七日払の約束手形一通を振り出させて、これを控訴人に裏書譲渡して、右百万円の債務の弁済に当てるとともにさきに差入れていた大森興業協同組合名義の小切手の返還を受けた。次いで控訴人と松井卓爾との間に昭和二十七年六月三日公正証書を作成し、松井卓爾は右の残代金を控訴人に対し昭和二十九年一月末日を始めとして、毎月末日を始めとして、毎月末日三万三千円宛月賦で支払うこととし、控訴人はさきに破産会社から裏書譲渡を受けた約束手形は松井に返し、その後被控訴人の主張するように、松井から月賦弁済を受けたものであることを認めることができる。

控訴人は百万円の貸金債務は、破産会社の専務取締役である島田真一個人の債務と認むべきものであると主張するが、これを認めるべき証拠はない。

しかしながら、証拠によれば、破産会社は昭和二十七年五月末頃には金融が困難となり、六月五日頃は方々に手形の不渡を出し、債権者は会社に押しかけて来て、倒産は時間の問題となり、六月十二日には遂に銀行取引が停止されるに至つたことが認められる。従つて、破産会社が控訴人に手形を裏書交付した五月三十一日当時は、会社の金融状態は甚だしく困難となつていたことは容易に察知できるのであつて、前に認定したように、五月三十一日松井卓爾振出にかかる手形を控訴人に交付して控訴人に対する百万円の債務の弁済に当てるにおいては、会社の他の一般債権者を害するに至ることは明らかである。それ故破産会社としては、破産債権者を害することを知つて弁済したものと認めなければならない。

ところが、証人島田真一の証言及び控訴本人の供述によれば、控訴人は破産会社にそれほどに負債のあることも、事業不振のことも知らず、同会社の専務取締役島田真一を信用し、それまで数回にわたり無担保で好意的に時貸をし、前に貸した五十万円の貸金が残つていたに拘らず、本件の百万円を貸渡したのであつて、ただ右百万円の貸金は従前に比べて額が多かつたので、島田らの大森興業協同組合名義の小切手を担保にとつていたが、その後僅か五日にして右小切手を返還して、本件手形の裏書交付を受けたのであつて、結局島田真一を信用して、それが債権者を害することを知らないで約束手形の裏書譲渡を受けたものであることが認められる。既に控訴人において当時破産債権者を害すべき事実を知らない以上、破産会社が破産債権者を害することを知つて手形を裏書交付したとしても、破産法第七十二条第一号による否認権を行使することのできないのはいうまでもないからこの点に関する被控訴人の主張は採用できない。

従つて、被控訴人の請求は理由がなく、棄却を免れないところ、これを認容した原判決は失当である。

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